旅のしおり

日程

2024年10月12日(土)〜13日(日)

下田の豆知識

下田について簡単にまとめています。日米和親条約は下田の歴史において大変重要な出来事です。ご興味がありましたら、ぜひご一読ください。

下田の概要

下田市は、静岡県伊豆半島南端に位置する都市である。江戸時代には、江戸・大坂間、あるいは東・西廻海運の風待ち湊として栄え、「伊豆の下田に長居はおよし、縞の財布が空になる」(下田ぶし1番)と唄われた。東海道の三島宿から伊豆半島中央部を南北に縦断する下田街道の終点である。僧行基発見とされる蓮台寺温泉などがあり、総称して下田温泉と称している。

1854年(嘉永7年)、日米和親条約が締結されると、箱館(北海道函館市)とともに開港(下田は即時開港)した。この時期、吉田松陰の米渡航失敗、ロシア使節エフィム・プチャーチン提督乗船のディアナ号遭難、米国領事タウンゼント・ハリスと唐人お吉、商業写真の祖下岡蓮杖など、数々のエピソードを生んだ。

1928年(昭和3年)、十一谷義三郎『唐人お吉』や川端康成『伊豆の踊子』の小説発表などが下田観光の火付け役となった。1933年(昭和8年)の東京湾汽船(現・東海汽船)の客船就航、伊豆循環道路東海岸線伊東 - 下田線の完成により、観光客が多数訪れるようになった。さらに、1961年(昭和36年)12月の伊豆急行線(伊東駅 - 伊豆急下田駅間)開業により、観光客が急増した。観光業が産業の中心となり、1967年(昭和42年)には、観光客が500万人を超えた。

2011年(平成23年)、東日本大震災に伴う計画停電、鉄道の運休、観光自粛ムードにより、観光客が激減した。

日米和親条約について

日米和親条約は、日本が近代国際社会に参入する契機となったが、同時に西洋列強との不平等な関係の始まりでもあった。この条約を皮切りに、日本は他の西洋諸国とも同様の条約を結ぶこととなり、開国と近代化への道を歩み始めた。

主な内容

  1. 永続的な平和と友好関係の確立
  2. 下田と箱館(現在の函館)の2港の開港
    • 下田は即時、箱館は1年後に開港
  3. アメリカ船への物資供給
    • 薪水、食料、石炭、その他必要な物資の提供
    • 物品の値段は日本の役人が決定し、支払いは金貨または銀貨で行う
  4. 難破船の乗組員救助と保護
  5. アメリカ人の行動範囲の設定
    • 下田では7里以内、箱館は別途定める
  6. 物品の購買と交換の許可
    • 金貨・銀貨での購買、および物品同士の交換が可能
  7. アメリカへの片務的最恵国待遇の付与
  8. アメリカ領事の下田駐在許可
  9. 漂流民の救助

1日目2024年10月12日(土)

東京駅

10:10 総武快速線ホーム(地下1番線)に集合お願いします。

駅弁を購入し、9番線に向かいます。

サフィール踊り子

駅名 時刻
出発 東京駅(9番線) 11:00
到着 伊豆急下田駅 13:29

伊豆の「本物の魅力」を体験していただく、観光特急列車「サフィール踊り子」

ペリーロード

伊豆急下田駅から徒歩約10分

幕末、黒船により来航したペリー提督一行が了仙寺で日米和親条約付録下田条約締結のために行進したのがこの道。

グルメ

グルメ内のリンクは食べログへアクセスいたします。

MoBS黒船ミュージアム

ペリーロードから徒歩約2分(了仙寺敷地内)

「了仙寺」の敷地内にある歴史ミュージアムです。コンセプトは『日本人から見た外国人、外国人が見た日本』。

了仙寺

ペリーロードから徒歩約2分

了仙寺はペリーと日本全権の交渉場所となり、日米和親条約下田追加条約が締結されました。

野の花亭 こむらさき

伊豆急下田駅から徒歩約5分

全室に源泉かけ流しの露天風呂。風の音や虫の音と共に、大切な「時」を「心そのままに」お過し下さい。

2日目2024年10月13日(日)

下田ロープウェイ

伊豆急下田駅から徒歩約2分

絶景の寝姿山自然公園へ空中路!全長540m、高低差156mのロープウェイで、絶景を体験できます。

寝姿山展望台

下田ロープウェイで山頂まで約3分

山頂では伊豆の絶景を楽しめ、縁結びの愛染堂や下田港を望む展望台です。

グルメ

グルメ内のリンクは食べログへアクセスいたします。

サフィール踊り子

駅名 時刻
出発 伊豆急下田駅 14:18
到着 東京駅 16:49

東京駅

2日間お疲れさまでした。